皆さんは紙の本を普段どのくらい読まれていますか?私はモノとしての「本」が好きなので読書はもっぱら紙の本です。触れて楽しい装丁や紙、文字から香る色気や余白に漂う空気感が好きなので自分と波長の合う本を手に取ると何とも言えない幸福感を覚えます。先日も古本販売の催しでDTPが出てくる以前の本を買いました。文字に写真植字時代の風情が良く出ていて思わず笑みがこぼれてしまったのですが、実はその本、DTPで編集し直されたものが出版されていて私はそれを持ってます。結果同じ内容のハードカバーとソフトカバーの2種を所有する事になりましたが、ここで私は声を大にして言いたいのです。いいんです。構わないんです。正直なところ読み易さは今のDTPの文字が上だなあとも感じたりもしますが、ハードカバーの古めかしい本には形容し難い格式が有り何故か背筋を伸ばして読まねばならない気がしてくる・・・そんな本を所有するだけで嬉しいのです。
そんな本を私たちに届けてくれるのが街の本屋さんです。私が子供の時分に住んでいた町にも小さな本屋さんがあり胸をときめかせて本を買ったものです。しかし昨今話題にもなりますがその書店の数がどんどん減っているのです。この20年で半減とか。千葉県でも話題になっていましたが自治体内に書店が無い「無書店自治体」が全国で4分の1以上に拡大しているとの事。我が街市川でも以前は駅周辺に3店舗有ったのにここ数年で1店舗になってしまいました。これは良くない。非常に悲しい。
そのような中、2月7日の読売新聞1面で興味深い記事が掲載されていました。読売新聞社と講談社が「書店活性化へ向けた共同提言」をまとめたとの内容でした。キャッシュレス負担の軽減や書店のDX化、新規出店の支援や魅力を伝える人材育成等を官民ともに努力せねばならないという内容でした。地域の文化拠点として書店は存在せねばならないという事であり、それは全国紙の1面トップで声をあげる必要が有り価値があるという事なのでしょう。
また昨年には図書館流通センターと取次大手の日販が図書館で本を販売する実証実験を行うと報道されていました。図書館窓口に書籍購入用の窓口を設け、図書館で読んで気に入った本を購入したりできるようにするそうです。流通に地元の書店を介在させ、なおかつ文具や地元野菜の販売も視野に入れているそう。地域を活性化しつつネット通販を利用しずらい層をフォローし、さらに地域の交流拠点を目指すそうです。ここでも文化の維持拠点として書籍を販売する場所が必要という発想がみえます。
ただ、ここで1点、リアルな書店が減少するのは自然淘汰だという意見も有るでしょう。公金を投入してまで延命する必要があるのかと。電子書籍を有効に活用すればネットを介して遥かに膨大な本と触れ合う事が出来るのだろうという意見は勿論正しい。電子書籍には紙の書籍には無い利点も多々ある事は間違いありません。文字に加え音や動画を併用できより多くの情報を伝える事が出来る点はとても大きなメリットでしょう。ただ私は思うのです。電子書籍は紙の書籍の進化形なのか。紙の書籍は懐古趣味のシンボルとしてその姿を残すのみで実用性としては電子書籍にその座を全て譲るしかない存在なのでしょうか。
昨年の上半期、ある記事が目に留まりました。デジタル先進国といってよいであろう北欧スウェーデンでは教科書のデジタル化が推進されていたのですが、ここに来てその見直し論議が活発になってきたのです。デジタルは音や動画でリアルな内容が理解しやすい反面、紙の方が見直しやすく、要点を思い出しやすく、内容をよく理解できるというのです。詳細は今後様々に検証されていくでしょうがデジタル先進国にてデジタル万能論に待ったがかかったのは興味深い事です。
2月上旬。まだまだ寒い日が続いております。しかしやがて水ぬるむ季節がきたらお気に入りの本を一冊持って外に出ようと思っています。うららかな春の陽射しの下、柔らかくも端正な明朝体を追いかける贅沢な時間を過ごすつもりです。