ここ3年ほど、とある俳句誌の組版担当をしています。
私自身は無風流なもので、理解の及ばない俳句の世界ではありますが、せめて組版的に正しく、読みやすくあるように心掛けて作業をしています。
しかし、せっかく普段接することのないような難しい単語や言い回しに出会うのだから、この際読みや意味などを学習して一つでも賢くなってやろうという欲も実は持っています。(そこに時間を割くことはできませんが…)
その “賢くなった” という自負の一つに「穭田」があります。
もちろん、当初は意味も知らず、読めもしませんでした。読めない漢字を打ち込まなければならない時は途方に暮れそうになりますが、もちろんやり方はあります。
まず部首の画数を数えます。この場合は「5画の部首」から「禾(のぎへん)」に絞り込み、次につくりの画数を数えます。「のぎへんに15画のつくりの漢字」から穭を選ぶのです。読みや意味を知らずとも、ただビジュアルで探し当てることができるようになっています。
小学生の頃、何の意味があるんだと思っていた “画数” の学習がこんなところで役に立つとは… いやはや。
(裏技としてGoogle先生に「禾 魚 日」で検索して探したりもします)
この方法で漢字を出すことができたので、読みや意味を追求しようとは思っていなかったのですが、俳句誌の編集の方になにげなく「最近この単語の使用頻度が高いですね」と話かけたところ、「“ひつじだ” と読むんだよ。『稲刈りの済んだあとの切り株にまた新しい茎が生えた田んぼ』のことだね。秋の季語だよ」と教えていただきました。その時、少し調べれば知ることができることを、なおざりにしていた事を反省しました。この時 “一つ賢くなった” ので、せっかくだから覚えておこうと思ったのです。
ひつじだ
そう、少しずつでも賢くなっていると思っていたのですが…
先日、テレビ番組で「蝌蚪」とは何か?がクイズとして出ていました。
“俳句でよく出てきた!「カト」で変換できる字!意味も調べたはず…” と、そこまでは出てくるのですが、肝心の答えがわかりません。 テレビの画面に解答が出た後はとても、とても悔しかったです。でも、もう忘れません。(…のはずです)とうに劣化の始まった頭での学習はこうも厳しいのかと実感する日々です。
(蝌蚪:かと、おたまじゃくし)
おたまじゃくし(嫌いな方もいるかもしれないのでイラストで)
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