2020年4月22日水曜日

何が見えるかな




『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている』


 フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)ドイツの哲学者が残した言葉です。


 難解な言葉であることから様々な解釈がありますが、私はその内の一つ、「異常を理解しようとする時、すでにその異常に魅入られている」と理解するのが好きです。この言葉の前には「ミイラ取りがミイラにならないように…」というような意味の前置きがあることから、これが一番単純な解釈なのではないでしょうか。


 異常なこと(現象・心理)は正常な側からは理解しづらく、その分魅力的だと思いますが、そこに魅力を感じない人もいるということは、自分はその異常に片足を突っ込んでしまっているのではないかという不安も同時に感じます。ただまったくの興味本位なので、その深淵とやらに両足をずぶずぶと沈めなければ何ら問題はないのでしょう。(多分)



フリードリヒ・ニーチェ



 ここでなぜ、たいして詳しくもないのに突然哲学者の言葉などを持ち出したのかといえば、もっと単純な話です。




 冬も終わり、だんだんと日が長くなっている今日この頃ですが、それでも少し残業をするともう辺りは暗くなります。


 頻度は少ないのですが、部署で最後の一人となったときは戸締りなどの始末をつけなければなりません。鍵を掛ける前に自分用や共用のパソコンを終了し、プリンタやエアコンの電源を落とし、ガスの元栓を締め、最後に照明を消します。この時、たまにパソコンのモニタが「電源の入った状態で黒い画面を写している」状態のまま、適正に終了されていないことがあります。照明を消した後、暗闇のなかでモニタが「黒く光っている」ので見つけることができます。そもそも始末を確認した後なのでこの段階で見つける頻度は少ないのですが、それでも一応部屋の中を一巡見回すことにしています。




 暗闇の中に身を置くなか、視線の先のもう用のない(はずの)暗闇をじっと見ている時、いつも『深淵を…』の言葉を思い出します。


 深淵とは文字のまま深い淵のことなのですが、私の中のイメージでは「暗く果てのないもの」となっており、そこからの連想です。「暗闇と見つめ合っている…」と一瞬考えた後、それ以上考えないようにさっさと鍵を掛けて部署を後にします。


 もともと大変な怖がりなので、逆にわざわざ怖いことを考えて、それを打ち消すことで自己防衛する儀式のようなものなのです。




 もっと、もっと単純な話をすると、近年「深淵を覗く時、暗くてよく見えないのだ」とツイートされて、一部で話題になりました。こちらの方が多くの人の理解を得たようです(笑)。



「深淵」こんなイメージでしょうか…



 とりとめのない話となりましたが、念のため。当社にはオカルトな「いわく」等はございませんので悪しからず。



DTP課 怖いのはイヤでも興味は人一倍…


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